映画「男はつらいよ 寅次郎がんばれ」の冒頭部分は、寅さんがみる夢から始まります。夢の中では、とらやの人たちが成功してお金持ちになり立派な家に住んでいて、寅さんはベッドの上で目覚めます。
その時流れる曲が、ハイドンの弦楽四重奏曲「ひばり」の第一楽章です。この曲はすっきりした美しいメロディーの曲です。「ひばり」という愛称なのに、私は冒頭の部分でニワトリの歩く姿を想像します。主題の旋律はひばりの鳴き声ではなく、まるでひばりが大空へ飛び立って鳴いているようです。都会では見かけない風景ですが、いなかでのんびりお茶(コーヒー)を飲みながらという雰囲気で聞く曲として最高です。
夏目漱石の「草枕」のなかにも、雲雀が出てくる部分があります。
たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。
巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。(夏目漱石 「草枕」)


