ベートーベンの苦難

スピリチュアリティー

 ベートーベンは日本では一番有名な作曲家のように思われます。年末になると各地で交響曲第九番「合唱」の演奏会が開催され、アマチュアの方が第4楽章の合唱に参加することもあります。第九が年末の風物詩なのは世界では珍しく、実は日本独特のもののようです。

 そのベートーベンも、第九を作曲したころは耳がほとんど聞こえなくなっていたらしいです。20代の後半から難聴が進行し、1802年、32歳の時には遺書(ハイリゲンシュタットの遺書)を書いています。若者の遺書ですから自殺も考えたことがあったのでしょう。作曲家にとって耳が聞こえないというのは絶望的な状況だったということは容易に想像できます。

 NHKの番組で、ベートーベンの難聴の原因について、耳硬化症や若年発症型両側性感音難聴などの説が取り上げられていましたが、若年発症型両側性感音難聴であればこれは難病の一つで現在でも治療法は確立されていません。

 ベートーベンはハイリゲンシュタットの遺書の中で、「僕はほとんど絶望し、もう少しのことで自殺するところだった。ただ、芸術が僕をひきとめてくれた。」と告白しています。そしてこの遺書の前後に「テンペスト」「月光」「悲愴」などの有名なピアノソナタなどが作曲されています。

 もし耳の病のような苦難がなかったならば、「第九」などの名曲は誕生せず、ベートーベンが今も広く知られる作曲家になっていたか疑わしいと思っています。

 「艱難汝を玉にす」(Adversity makes a man wise.)(Vent au visage rend l’homme sage.)